卵子凍結保存への道のり
2015年も明け、2月も終わりつつありますが
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
現在、日本にて絶賛(!?)癌治療中のTurkceです。ご無沙汰しておりました。
約半年振りの更新。久々過ぎて何から書いて良いか(汗)
早いもので、癌治療を始めて、8ヶ月目に入りました。
治療の初期は、ブログも更新する余裕?というか、頑張らねば!という
若干自分を追い込むような形で記事を更新していた部分も否めず・・・
途中からは治療疲れ副作用などの理由で、文章を書くこと自体億劫になってしまい
記事更新が出来ずでした。申し訳ありません
かなり前の記事でも書いたかと思いますが、私の癌タイプ。
エストロゲン受容体 : 陽性
プロゲステロン受容体 : 陽性
HER-2 : 陽性2+
HER2-FISH : 陽性
ki-67 :30%
乳がんのタイプとして、上記のように全て陽性と出ているトリプルポジティブ癌の治療は
抗がん剤治療、放射線治療、ホルモン剤治療の、フルコース治療が勧められています。
そして昨年の7月よりスタート。
化学療法(は現在も継続中)で使用される重たい抗がん剤が終わり、
因みに、抗がん剤終わった頃?本邦初公開です(^-^;若干衝撃画像?
ほぼ髪の毛は抜けきり、最後の数本を残すのみとなりました。
ここまでくると、清清しい頭ですね(苦笑)
その直後、9月中旬、妊娠中だった妹が3週間も早く出産。
予想外に早く生まれてきて、とても小さかったですが、今ではほっぺたが
お大福のようにぽってりして、ぐんぐん成長中です。
伯母馬鹿ですが、めっちゃ可愛い・・・。
この甥の写真と、一つ前の私の坊主頭写真と、なんか通じるものが(笑)
ラジオ体操(なんて書くと年代がばれてしまいますが・笑)のように、
毎日病院へ定期券を携えて通う、放射線治療全30回も終えて
その間に、更に一つ歳をとりました。
その後、トルコからトルコ人の友人がやってきて、アテンドなどで相当疲労困憊。
築地とか早朝から行ってみました。
放射線治療は痛みがないとか、副作用があまり出ないと聞いていましたが
照射した皮膚は、徐々に変色し、引きつるようになり、
その頃には脇下の皮膚も痛みマックス。。。
わかりづらいですが、わきの下です。変色して皮がむけ始めていますね・・・
その後、皮膚は焼け爛れたかのような状態になり、じゅくじゅくと。一番きつかった。
地味にじわじわ、結構な痛みを伴う放射線治療でした。
期間中、何度か痛みで目が覚めて、夜眠れない事があったくらいですから。。。
あとは、倦怠感が凄くて、食欲が低下したり、結構副作用に悩まされ、
ですので、トルコからやってきた友人のアテンドは、実は結構体力的に大変でした。
11月の上旬に放射線治療を終えましたが、皮膚がやっと、落ち着いてきたと感じたのは
だいたい一ヵ月後くらいでした。
友人を成田まで見送ったあと、母と成田山新勝寺にて。
あとは、甥のお宮参りもあり。
友人が帰国したあとから、ホルモン剤の内服治療がスタート。
私の癌は、女性ホルモンをエサにして増殖していくので、その女性ホルモンを抑制する治療です。
このホルモン剤も、簡単にいうと閉経状態を作り出すような、そんなお薬です。
閉経=卵子も必要ないので、卵巣機能もストップ=更年期障害。
自分の母親の更年期障害を見ていて思ったのは
何かしら不調を訴えていたこと、実際に不調が出ていたこと、長かったこと。
それでも、母のは軽いほうだったのかな?
女性は、女性ホルモンが分泌されているから、女性らしくいられる。
月経がある。排卵がある。妊娠、出産も。と、「女性」として大事な意味を持つ女性ホルモン。
通常分泌されているであろう、このホルモンを無理に抑えることは
=体に負担を与えること、微妙なお年頃であれば、治療を終える頃閉経をしてしまう
可能性があること。(ホルモン剤内服治療は最低でも5年~10年といわれています)
40歳間近で、癌が発見された私にとって妊娠出産は、当然諦めることなのかもしれませんが
私は心のどこかで、40歳でも42歳でも45歳でも出産を経験している女性はまだまだいる、と
ぼんやりと思っていました。自分にも、そんな時がくるかもしれないと。
癌になった時に考えたことは、そのときの仕事やトルコでの生活をいったん諦めること
そして、将来的な妊娠出産のことでした。
私のような微妙な年齢で、将来的な妊娠出産なんて、馬鹿げていると言われるのは明白で、
しかも、ホルモン剤治療で卵巣機能は低下し、もしかしたら閉経してしまうかもしれない
無駄な考えに翻弄されていたかもしれません。
だって、妊娠出産する可能性なんて、病気にならなかったとしても、ほぼゼロに近いのですから。
でも、自分は0.5%でも1%でも良いから、希望と可能性を残したくて
卵子凍結保存をする事を決めました。
日本では、自由診療なので、非常に費用は高額だということ
癌治療をする前に、卵子凍結保存をする、患者さんはまだ少ないような感触。
癌治療によって、卵巣機能低下や将来的な不妊の後遺症が出るかもしれないことなどを
しっかり治療を決める前に告知してくれるお医者さんが少ないのかな?とも感じました。
独身で妊娠出産経験のない患者さんが比率的にまだ少ないのかもしれませんが・・・
卵子凍結保存を希望しない癌患者さんも多いかと思います。
だって、一番は自分の健康が大事ですから。
私も凄く悩み悩み、結局考えがまとまらないまま、治療前に一度トルコへ戻りました。
(職場への挨拶、住まいの引き払い、引越しなどもあったので)
そして、私はイスタンブルで大きな決断をしました。
トルコの医療を信頼していない自分にとって、本当にどうかしてる、血迷ったかと
思われるような決断だったかもしれませんね、今思うと(^-^;;
それが、卵子凍結保存です。ちょうど月経のタイミングも合ったからトライできたのだと思います。
費用は、日本のだいたい三分の一位だったでしょうか。これも自分を後押ししました。
トルコでは癌治療の為に卵巣機能を失ってしまう独身女性へ
医師の診断書ありきで卵子凍結保存が可能です。
日本の検査結果をトルコ語で説明しながら、現地の腫瘍内科の医師(勿論トルコ人)から
証明書をゲット。それから不妊治療科でのプランが始まります。
不妊治療科には夫婦で訪れる人たちがほとんどでした。
ここトルコでも様々な理由で不妊治療を受ける夫婦は結構いるようです。
担当医は女性の先生。凄くハキハキしてて、すぐにフレンドリーな感じで接してくる
ポジティブな印象のドクター。
おそらく予定排卵日まで一週間程しかなく、その間に、何度も病院へ通い
子宮や卵巣の状態、卵子を育たせるためのお薬、注射、人生で初めての経験をまたしました。
不妊治療や、実際に卵子凍結保存をした方はご存知かと思いますが
卵子を育たせる為の薬、注射は、おへその真横5cmのところに、ブスっと、細い注射をするのです。
コチラは葉酸のようでした。
しかも、「自分でやれる!」と、トルコ人看護師は言います。
もし出来なかったら、近所の診療所みたいなところでやってもらって、といわれました。
でも、皆自分で刺してると・・・・。これ使い捨ての細い注射器です。
初回は、病院で看護師さんがプスっと刺してくれました。
驚くほど、痛みもなく、出血もありません。自分で刺すという行為に恐怖心が出てるだけです。
だっておへその周辺は皮下脂肪ばかりですから、それほど痛みは感じないのでしょう。
その晩、自宅で、自分で勇気を振り絞り、プスっと刺しました。
迷ってはいけないのですね、迷うときっと針がまっすぐ入らないようですので。
一心不乱に、何も考えず、プスっと、これがうまくいくコツでしょう。
このお水で錠剤の薬を注射器内で溶かして、お腹へ一気にうちます。
しかも結構な細かい時間指定あり。
(もし糖尿病になっても自分でインスリンの注射も打てるわと自信がついた・・・)
毎日の注射で、お腹にアザもできました・・・・
そんな日々を数日間送り、そして、卵子を採取する時間から逆算して36時間前とかに
最後の注射をプスっと。
これは今まで打っていた注射とは違い、卵子を誘発させるお薬のようでした。
私の場合は、採卵当日正午を目安にしていましたので、前日の午前2時に打って!と
看護師さんから指示を受けました。
あとは自分で近所のクリニックで血液検査をして、それを持って採卵当日になります。
血液検査項目には、排卵する頃に上昇する項目も入っていました。
そしていざ、採卵当日は、確か麻酔をかけるから、食事もしないで病院へ。
コーディネーターの人(トルコ人男性)と話をしながら、先生(は女性)も到着したので
手術着に着替え、点滴ルート確保、オペ室へ。
この点滴ルートをとってくれた看護師さんは、彼女自身も以前乳がんにかかった経験があるとの事。
若干、髪の毛が薄めだな、とキャップを被ってはいましたが、そんな印象を受けました。
私も、数年後はあんな感じなのかなと、ぼんやり考えていたら、その彼女が
「今は、こうやって卵子を凍結保存する手段がある。私が癌になった時には、
そんな選択肢などメジャーじゃなかったし、費用も高かった」と話してくれた。
私だって、日本にいたら検討もしなかったであろう卵子凍結保存術。
彼女の言葉は、重みがありました。同じ癌患者だけど、看護師として頑張っている。
30分ほどで終わる、簡単なオペという事でしたが、ぜんま(全身麻酔)でした。
卵子とる時に、体が動いてしまわない為だそうでした。
オペ室には看護師さん、担当医師(女性)、麻酔科医の3名だったかな?
また、この麻酔科の先生が、男性だったんですが、髪の毛はクルクルパーマみたいな
ファンキーな先生で、「昨晩は寝れたかな??」と、爽やかに?話しかけてきた。
「いや、何だか緊張しちゃって、あんまり」と答えたら、女医の先生が
「あら、私はしっかり寝たわよ~」って。何だか笑わしてくれました。
そんな話を最後にしたと思ったら、採卵術は終了していました。
本当に30分程だったようです。麻酔はすぐにとれて、気分は?大丈夫?と確認されて
その後は病室で少し休んで、帰宅してOKでした。
お部屋からの眺め。
この病院で実は私昔にもぜんま(全身麻酔)で簡単な処置オペしたことあるのですが
2回とも、バッチリ問題なく終えられたので、麻酔科の先生達の腕が良いのかしら?
因みに日本でも全身麻酔で具合悪くなった事ありません。
採卵できたのは、3個でした。ま、準備期間が短かった割には、良かったかもしれませんね。
実際は4個見えたそうなのですが、このうちの一個はあまり発育が良くなさそうだったようで、
しっかりした3個を採取したそうです。一応オペ?との事だったし、術後5日間は抗生剤を服用して
その後は、病院での経過観察もなく、採卵した日が医師達と会った最後でした。
今私の卵子は、イスタンブルにあります。使える使えないかどうかは別にして、
これだけでも、希望になりました。またイスタンブルへ戻る理由にもなりました。
治療を頑張ろうという勇気を与えてくれました。
使えない卵子かもしれないし、不妊治療のコーディネーター氏が言うのは
「あなたの年齢的に見ても、2年位が待てる限界でしょう。」と。
これが現実でした。年齢という壁は、女性にとって色々な意味を持ちます。
特別、子供好きでもありません。むしろ嫌いな方です。
今でもそれは同じでしょう、でも、自分の子であればと思うと、それは全く違う感情になります。
実際に血の繋がった甥達を見ていると、本当にそう感じます。
何をおいても大事にしたいと思うのです、不思議ですね。
私が採取した卵子を使う日がやってくるかは、わかりません。
パートナーがいなくては、もちろん無理な話ですし、そのときの自分の体調がどうなのか。
癌が再発していなくて、月経が戻ってくればの話です。
まだまだ治療は始まったばかりです。
それでも今年だってもう2ヶ月過ぎようとしています。2年なんてあっという間に過ぎるかな?
今年の6月末には化学療法も終了し、いよいよトルコへ戻る時期がやってくるのか、と思うと
緊張や不安が入り混じりますし、
継続していかなければならない治療はトルコでも引き続くので、
今度は一人で続けていかなければならない不安もあります。
しかし、これらを差し引いても、嬉しい気持ちが大きいのです。
この先、人生を、時間を無駄に使う事は出来ないと思って、やりたいと思った事は
こなしていけるよう頑張れる体を作らなければなと思います。
今はまだ治療の副作用や、治療疲れで体力も低下していますが、、気持ちは元気です。
癌治療前で、将来妊娠出産を希望している独身女性の皆さんへ
拙い情報ではありますが、少しでもお役に立てれば幸いです。
最後に・・・・
採卵当日や、最初に不妊治療科へ話を聞きに一緒に付き添ってくれたKさん
本当に有難う。一人じゃできませんでした、こんな大きな決断(^-^)
心強く、あの日を迎えることができたこと、心から感謝しています。
乳がんについての情報は、コチラから↓↓↓↓
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そして今の私。発毛状況的には、ラストケモから、間もなく6ヶ月です。どうですか?
一ヶ月1cmと思っていましたが、予想以上に伸びません(^-^;;
あと若干白髪が増えて発毛中です。脱毛する前までは、2本位しか見た事なかったけど
一気に5本とか見つけました。多分10本位あるだろうな。
普段は、ウィッグじゃなくて、トルコの年配のおば様たちのようにスカーフを頭に巻いています。
(日本へ赴任中のトルコ人の同僚Aさんが、来宅してくれました!!)
ウィッグはスカーフがだめそうなときのみ利用。
このままベリーショートってことで、脱スカーフ&脱ウィッグできるかな~
でも、やはり髪は女の命という事もあり、服装とマッチしないんですよね・・・・
女性ホルモンがどんどんなくなっていって、おじさん化しているTurkceでした。
内容オーバー気味でお伝えしました2015年初ブログ。
すっかり更新しなくなってしまいましたが、、
今年も、どうぞ宜しくお願い致します。
皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。
今年は絶対にイスタンへ戻りますよ!!!(抱負)
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
現在、日本にて絶賛(!?)癌治療中のTurkceです。ご無沙汰しておりました。
約半年振りの更新。久々過ぎて何から書いて良いか(汗)
早いもので、癌治療を始めて、8ヶ月目に入りました。
治療の初期は、ブログも更新する余裕?というか、頑張らねば!という
若干自分を追い込むような形で記事を更新していた部分も否めず・・・
途中からは治療疲れ副作用などの理由で、文章を書くこと自体億劫になってしまい
記事更新が出来ずでした。申し訳ありません
かなり前の記事でも書いたかと思いますが、私の癌タイプ。
エストロゲン受容体 : 陽性
プロゲステロン受容体 : 陽性
HER-2 : 陽性2+
HER2-FISH : 陽性
ki-67 :30%
乳がんのタイプとして、上記のように全て陽性と出ているトリプルポジティブ癌の治療は
抗がん剤治療、放射線治療、ホルモン剤治療の、フルコース治療が勧められています。
そして昨年の7月よりスタート。
化学療法(は現在も継続中)で使用される重たい抗がん剤が終わり、
因みに、抗がん剤終わった頃?本邦初公開です(^-^;若干衝撃画像?
ほぼ髪の毛は抜けきり、最後の数本を残すのみとなりました。
ここまでくると、清清しい頭ですね(苦笑)
その直後、9月中旬、妊娠中だった妹が3週間も早く出産。
予想外に早く生まれてきて、とても小さかったですが、今ではほっぺたが
お大福のようにぽってりして、ぐんぐん成長中です。
伯母馬鹿ですが、めっちゃ可愛い・・・。
この甥の写真と、一つ前の私の坊主頭写真と、なんか通じるものが(笑)
ラジオ体操(なんて書くと年代がばれてしまいますが・笑)のように、
毎日病院へ定期券を携えて通う、放射線治療全30回も終えて
その間に、更に一つ歳をとりました。
その後、トルコからトルコ人の友人がやってきて、アテンドなどで相当疲労困憊。
築地とか早朝から行ってみました。
放射線治療は痛みがないとか、副作用があまり出ないと聞いていましたが
照射した皮膚は、徐々に変色し、引きつるようになり、
その頃には脇下の皮膚も痛みマックス。。。
わかりづらいですが、わきの下です。変色して皮がむけ始めていますね・・・
その後、皮膚は焼け爛れたかのような状態になり、じゅくじゅくと。一番きつかった。
地味にじわじわ、結構な痛みを伴う放射線治療でした。
期間中、何度か痛みで目が覚めて、夜眠れない事があったくらいですから。。。
あとは、倦怠感が凄くて、食欲が低下したり、結構副作用に悩まされ、
ですので、トルコからやってきた友人のアテンドは、実は結構体力的に大変でした。
11月の上旬に放射線治療を終えましたが、皮膚がやっと、落ち着いてきたと感じたのは
だいたい一ヵ月後くらいでした。
友人を成田まで見送ったあと、母と成田山新勝寺にて。
あとは、甥のお宮参りもあり。
友人が帰国したあとから、ホルモン剤の内服治療がスタート。
私の癌は、女性ホルモンをエサにして増殖していくので、その女性ホルモンを抑制する治療です。
このホルモン剤も、簡単にいうと閉経状態を作り出すような、そんなお薬です。
閉経=卵子も必要ないので、卵巣機能もストップ=更年期障害。
自分の母親の更年期障害を見ていて思ったのは
何かしら不調を訴えていたこと、実際に不調が出ていたこと、長かったこと。
それでも、母のは軽いほうだったのかな?
女性は、女性ホルモンが分泌されているから、女性らしくいられる。
月経がある。排卵がある。妊娠、出産も。と、「女性」として大事な意味を持つ女性ホルモン。
通常分泌されているであろう、このホルモンを無理に抑えることは
=体に負担を与えること、微妙なお年頃であれば、治療を終える頃閉経をしてしまう
可能性があること。(ホルモン剤内服治療は最低でも5年~10年といわれています)
40歳間近で、癌が発見された私にとって妊娠出産は、当然諦めることなのかもしれませんが
私は心のどこかで、40歳でも42歳でも45歳でも出産を経験している女性はまだまだいる、と
ぼんやりと思っていました。自分にも、そんな時がくるかもしれないと。
癌になった時に考えたことは、そのときの仕事やトルコでの生活をいったん諦めること
そして、将来的な妊娠出産のことでした。
私のような微妙な年齢で、将来的な妊娠出産なんて、馬鹿げていると言われるのは明白で、
しかも、ホルモン剤治療で卵巣機能は低下し、もしかしたら閉経してしまうかもしれない
無駄な考えに翻弄されていたかもしれません。
だって、妊娠出産する可能性なんて、病気にならなかったとしても、ほぼゼロに近いのですから。
でも、自分は0.5%でも1%でも良いから、希望と可能性を残したくて
卵子凍結保存をする事を決めました。
日本では、自由診療なので、非常に費用は高額だということ
癌治療をする前に、卵子凍結保存をする、患者さんはまだ少ないような感触。
癌治療によって、卵巣機能低下や将来的な不妊の後遺症が出るかもしれないことなどを
しっかり治療を決める前に告知してくれるお医者さんが少ないのかな?とも感じました。
独身で妊娠出産経験のない患者さんが比率的にまだ少ないのかもしれませんが・・・
卵子凍結保存を希望しない癌患者さんも多いかと思います。
だって、一番は自分の健康が大事ですから。
私も凄く悩み悩み、結局考えがまとまらないまま、治療前に一度トルコへ戻りました。
(職場への挨拶、住まいの引き払い、引越しなどもあったので)
そして、私はイスタンブルで大きな決断をしました。
トルコの医療を信頼していない自分にとって、本当にどうかしてる、血迷ったかと
思われるような決断だったかもしれませんね、今思うと(^-^;;
それが、卵子凍結保存です。ちょうど月経のタイミングも合ったからトライできたのだと思います。
費用は、日本のだいたい三分の一位だったでしょうか。これも自分を後押ししました。
トルコでは癌治療の為に卵巣機能を失ってしまう独身女性へ
医師の診断書ありきで卵子凍結保存が可能です。
日本の検査結果をトルコ語で説明しながら、現地の腫瘍内科の医師(勿論トルコ人)から
証明書をゲット。それから不妊治療科でのプランが始まります。
不妊治療科には夫婦で訪れる人たちがほとんどでした。
ここトルコでも様々な理由で不妊治療を受ける夫婦は結構いるようです。
担当医は女性の先生。凄くハキハキしてて、すぐにフレンドリーな感じで接してくる
ポジティブな印象のドクター。
おそらく予定排卵日まで一週間程しかなく、その間に、何度も病院へ通い
子宮や卵巣の状態、卵子を育たせるためのお薬、注射、人生で初めての経験をまたしました。
不妊治療や、実際に卵子凍結保存をした方はご存知かと思いますが
卵子を育たせる為の薬、注射は、おへその真横5cmのところに、ブスっと、細い注射をするのです。
コチラは葉酸のようでした。
しかも、「自分でやれる!」と、トルコ人看護師は言います。
もし出来なかったら、近所の診療所みたいなところでやってもらって、といわれました。
でも、皆自分で刺してると・・・・。これ使い捨ての細い注射器です。
初回は、病院で看護師さんがプスっと刺してくれました。
驚くほど、痛みもなく、出血もありません。自分で刺すという行為に恐怖心が出てるだけです。
だっておへその周辺は皮下脂肪ばかりですから、それほど痛みは感じないのでしょう。
その晩、自宅で、自分で勇気を振り絞り、プスっと刺しました。
迷ってはいけないのですね、迷うときっと針がまっすぐ入らないようですので。
一心不乱に、何も考えず、プスっと、これがうまくいくコツでしょう。
このお水で錠剤の薬を注射器内で溶かして、お腹へ一気にうちます。
しかも結構な細かい時間指定あり。
(もし糖尿病になっても自分でインスリンの注射も打てるわと自信がついた・・・)
毎日の注射で、お腹にアザもできました・・・・
そんな日々を数日間送り、そして、卵子を採取する時間から逆算して36時間前とかに
最後の注射をプスっと。
これは今まで打っていた注射とは違い、卵子を誘発させるお薬のようでした。
私の場合は、採卵当日正午を目安にしていましたので、前日の午前2時に打って!と
看護師さんから指示を受けました。
あとは自分で近所のクリニックで血液検査をして、それを持って採卵当日になります。
血液検査項目には、排卵する頃に上昇する項目も入っていました。
そしていざ、採卵当日は、確か麻酔をかけるから、食事もしないで病院へ。
コーディネーターの人(トルコ人男性)と話をしながら、先生(は女性)も到着したので
手術着に着替え、点滴ルート確保、オペ室へ。
この点滴ルートをとってくれた看護師さんは、彼女自身も以前乳がんにかかった経験があるとの事。
若干、髪の毛が薄めだな、とキャップを被ってはいましたが、そんな印象を受けました。
私も、数年後はあんな感じなのかなと、ぼんやり考えていたら、その彼女が
「今は、こうやって卵子を凍結保存する手段がある。私が癌になった時には、
そんな選択肢などメジャーじゃなかったし、費用も高かった」と話してくれた。
私だって、日本にいたら検討もしなかったであろう卵子凍結保存術。
彼女の言葉は、重みがありました。同じ癌患者だけど、看護師として頑張っている。
30分ほどで終わる、簡単なオペという事でしたが、ぜんま(全身麻酔)でした。
卵子とる時に、体が動いてしまわない為だそうでした。
オペ室には看護師さん、担当医師(女性)、麻酔科医の3名だったかな?
また、この麻酔科の先生が、男性だったんですが、髪の毛はクルクルパーマみたいな
ファンキーな先生で、「昨晩は寝れたかな??」と、爽やかに?話しかけてきた。
「いや、何だか緊張しちゃって、あんまり」と答えたら、女医の先生が
「あら、私はしっかり寝たわよ~」って。何だか笑わしてくれました。
そんな話を最後にしたと思ったら、採卵術は終了していました。
本当に30分程だったようです。麻酔はすぐにとれて、気分は?大丈夫?と確認されて
その後は病室で少し休んで、帰宅してOKでした。
お部屋からの眺め。
この病院で実は私昔にもぜんま(全身麻酔)で簡単な処置オペしたことあるのですが
2回とも、バッチリ問題なく終えられたので、麻酔科の先生達の腕が良いのかしら?
因みに日本でも全身麻酔で具合悪くなった事ありません。
採卵できたのは、3個でした。ま、準備期間が短かった割には、良かったかもしれませんね。
実際は4個見えたそうなのですが、このうちの一個はあまり発育が良くなさそうだったようで、
しっかりした3個を採取したそうです。一応オペ?との事だったし、術後5日間は抗生剤を服用して
その後は、病院での経過観察もなく、採卵した日が医師達と会った最後でした。
今私の卵子は、イスタンブルにあります。使える使えないかどうかは別にして、
これだけでも、希望になりました。またイスタンブルへ戻る理由にもなりました。
治療を頑張ろうという勇気を与えてくれました。
使えない卵子かもしれないし、不妊治療のコーディネーター氏が言うのは
「あなたの年齢的に見ても、2年位が待てる限界でしょう。」と。
これが現実でした。年齢という壁は、女性にとって色々な意味を持ちます。
特別、子供好きでもありません。むしろ嫌いな方です。
今でもそれは同じでしょう、でも、自分の子であればと思うと、それは全く違う感情になります。
実際に血の繋がった甥達を見ていると、本当にそう感じます。
何をおいても大事にしたいと思うのです、不思議ですね。
私が採取した卵子を使う日がやってくるかは、わかりません。
パートナーがいなくては、もちろん無理な話ですし、そのときの自分の体調がどうなのか。
癌が再発していなくて、月経が戻ってくればの話です。
まだまだ治療は始まったばかりです。
それでも今年だってもう2ヶ月過ぎようとしています。2年なんてあっという間に過ぎるかな?
今年の6月末には化学療法も終了し、いよいよトルコへ戻る時期がやってくるのか、と思うと
緊張や不安が入り混じりますし、
継続していかなければならない治療はトルコでも引き続くので、
今度は一人で続けていかなければならない不安もあります。
しかし、これらを差し引いても、嬉しい気持ちが大きいのです。
この先、人生を、時間を無駄に使う事は出来ないと思って、やりたいと思った事は
こなしていけるよう頑張れる体を作らなければなと思います。
今はまだ治療の副作用や、治療疲れで体力も低下していますが、、気持ちは元気です。
癌治療前で、将来妊娠出産を希望している独身女性の皆さんへ
拙い情報ではありますが、少しでもお役に立てれば幸いです。
最後に・・・・
採卵当日や、最初に不妊治療科へ話を聞きに一緒に付き添ってくれたKさん
本当に有難う。一人じゃできませんでした、こんな大きな決断(^-^)
心強く、あの日を迎えることができたこと、心から感謝しています。
乳がんについての情報は、コチラから↓↓↓↓
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そして今の私。発毛状況的には、ラストケモから、間もなく6ヶ月です。どうですか?
一ヶ月1cmと思っていましたが、予想以上に伸びません(^-^;;
あと若干白髪が増えて発毛中です。脱毛する前までは、2本位しか見た事なかったけど
一気に5本とか見つけました。多分10本位あるだろうな。
普段は、ウィッグじゃなくて、トルコの年配のおば様たちのようにスカーフを頭に巻いています。
(日本へ赴任中のトルコ人の同僚Aさんが、来宅してくれました!!)
ウィッグはスカーフがだめそうなときのみ利用。
このままベリーショートってことで、脱スカーフ&脱ウィッグできるかな~
でも、やはり髪は女の命という事もあり、服装とマッチしないんですよね・・・・
女性ホルモンがどんどんなくなっていって、おじさん化しているTurkceでした。
内容オーバー気味でお伝えしました2015年初ブログ。
すっかり更新しなくなってしまいましたが、、
今年も、どうぞ宜しくお願い致します。
皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。
今年は絶対にイスタンへ戻りますよ!!!(抱負)
by turkce | 2015-02-27 04:19 | 乳がん:治療迄に行った事